「俺頑張ってるんすよ」と中2生の一人は鼻息を荒げています。
「がんばってるかどうかは、テスト結果と俺が決める。」と僕に怒られます。
毎日のように繰り返される日常の風景です。
頑張っていると主張するの自由だし、努力を評価しないわけではありません。
しかし、自己満足なんです。
【頑張った】かどうかは、周囲が決めることで、自分で決めるものではありません。
さらに厳しいことを言えば、結果が出てこそ評価されるもの。
もしも、社会人であれば、「頑張った」で会社やお客さんは許してくれるでしょうか?
「頑張ったんですけど納期に間に合いませんでした。」と言っても
「頑張ったかどうかなんてどうでもええねん。ちゃんと規定通り納品してくれや」とおそらく言われるでしょう。
まともな仕事ができないという評価を、そして、信頼の低下を招きます。
社会人としての経験があるからこそ、親も教員も基本的に過程など見ません。
成果結果出て、【頑張っていた】ということに気づかされます。だから、「過程を見てあげてください。」などとは僕は言いません。
結果を見て、評価してあげてほしいと思います。過程を見るのは、僕ら塾の仕事だと思っているので。
それができるのであれば、塾は不要です
家で1時間勉強したことを「頑張っている」と評価できるかどうか。
難しいところです。例えば、0時間→1時間。これは大変な向上で評価できるかもしれませんが、周囲が3時間勉強していると
したならば、「かなり大きな差が広がる」状態から「大きな差が広がる」状態になっただけに過ぎないのです。
残念ながら、テストというものは相手が常にあるもので、絶対評価になったとはいえ、平均点からの乖離度で成績を決めているのが
中学の現状なのですから。
「このくらいの時間勉強をやったら評価できる。頑張ったといえる」といいますとたいていが「そんなん無理じゃん」といいます。
「そのくらいやってから、頑張ったって俺の前で言えや」「はーい。」
できるかどうかは別にして、素直なのはいいことです。ま、反論すればさらに長い説教が待ってますからね。
定期テストまだまだ序盤戦です。