地域一番は目指してないのです。

ついこないだまで会社勤めだったので、
よく言われたのが、地域一番店になろう。といことで、
それは明らかに正しかったと思います。

直営系生徒数全国№1の塾としては目指す方向として、
全く間違っていないのです。
出来ればシェアを100%握り、ブルーオーシャンを築く。
あるべき姿なのですが。

独立した今、私は地域一番店はほかの塾さんにお譲りしよう。
と考えています。
地域一番とは何が地域一番なのでしょうか?
人数?合格実績?人数のもととなるはずのサービス?
まあ、4月から人数が増えるにせよ、
私一人で切り盛りする塾なので。。。
多分人数としてはどれだけ学年バランスが良くても80は超えない。
実績は大量に集めて大量授業をする。塾にお任せします。
1クラス16人まで、それ以上来たら断るうちの塾には無理なのです。

しかし、来ていただいた方の満足感は100%にしたいというか
不満足な部分はなくしていきたい。

だから、地域ナンバーワンのサービスは目指さないけれど
来ていただいた方の100%満足は目指していきます。
多分、私に求められるものは多種多様で満足のツボもいろいろあると。
そのツボを押さえていくように心がけたいなと思います。

あとは私が出会った方とのつながりを大事にしていきたい。
私は心が狭く、また、誰に対しても親切な人間ではありません。
そんな自分であるからこそ、一度かかわりができた方を最優先で考えたいな
と思っています。
こんな仕事ですから、出会いは当然あるけど、それはおそらく私の
200代前の先祖の数よりは少ないと思います。

だから、一度お知り合いになれたことを大切にしたいのです。
教える内容に差がついたり、取扱いに差が出るわけではないけれど
以前在籍した塾の塾生、卒業生、私の友人の子供たちはには
また出会えてありがとうという意味で授業料はサービスするのです。
多分、正規の方から比較すると2割引きから5割引きくらいになっているかな。

現在の中3はほとんど受講料はいただいていません。
2月、3月の間は。
深くかかわりを持っていただける方ほど満足感が高まる形にしたいな
と思います。

長女のイジメから学んだこと。②

いろいろ反響がありまして、
もう少し追加で書こうかなと思う次第です。

基本的にイジメる奴が悪い。
この立場は私の基本的スタンスなのですが、

もう少し、イジメるという行為、そのものの行動の原因や
背景に焦点をあてて考えるべきではないかと思っています。

つまり、いじめをする子はなぜするのか。
生まれついてジャイアンである子は少ないのではないか。
むしろ、ジャイアンにはジャイアンになるための過程があったのではないか
と考えています。
むしろその部分を変えてもらわないと
今、イジメられている子も、今、イジメている子も不幸なままで終わるのではないか
と思います。

たとえば、いじめをした生徒は出席停止にする。とかのアイディアも出ているそうです。
正解かもしれない。対症療法としては、今暴力やハラスメントで
被害を受けている子は救われる。
しかし、出席停止の後は?構造が変化しなければ、同じことの繰り返しになる。
逆にそのことでイジメている子の学ぶ権利のことや逆にいじめに合う可能性は?

まあ、イジメられている子にしてみれば、イジメする奴に2つとも
認める必要はないと思うかもしれないけれど。

イジメは命を奪う行動だから、一定程度必要かもしれない。
ストーカーと同じで。

キーは事象としての出席停止でも命を大切にする指導でもないような気がするのです。
命が大切なのはみんな知っている。それは、「仲間」の命の大切さ。
問題は自分とは違う「差異」を抱えた人間を「仲間」として受け入れられるか
どうかにあると思うのです。
構造がそんなに単純ではないのかもしれないけれど。

△△はこの点が違う。おかしい。
○○が、こういった。生意気だ。
××が、自分の指示に従わない。むかつく。

人がそれぞれ別人格で自分の思った通りにならないものだ。
それをすり合わせるために言葉がある。
違う人の持つ差異を個性として受け入れる。
この点に対する指導が十分でなければ、
状況はいろいろ変わっても続いてしまうと思うし、イジメ→イジメられる
が登場人物を変えて続いてしまうような気がする。

ただ、この「差異」を「個性」として、あるがままのもの。
あってもいいものとして受け入れるというのは、とても難しい。
そして、教育が出来るのはそのサポートだけでしかない。
なぜなら、差異を受け入れるというのは、自分で自分の
意識の地平を広げない限りできない。

たとえば、お前らイジメ的な言動をするな。といって、
ああこんなことはこの人に対していっちゃダメなのね。
しちゃダメなのね。という

禁止事項として受け入れただけで、
その差異を本当に理解して、受け入れていることにならないだろうと
私は思うのです。

残念ながら、長女がイジメられたという経験を通じて、それは
差異を理解して受け入れましょうと流れは感じなかったのですね。

今、長女は学校で目立つことほぼしません。
それが、彼女がいじめから学んだ処世術なのかもしれない。とも思うし。
トラウマなのかもしれませんね。
親としては、イイも悪いもありません。
もっと、前出ろよとか積極的にいけよ。というのは親の望みでしかない。

根が楽天的なので、
決して、イジメの経験はマイナスばかりではないと思っています。
全く、意味のない暴力や理不尽なことが社会にはあることを
身を持って経験し、
その時には自分自身が自分を守らなければならないことを学んだと思います。
小1にはハードではあったでしょうが、
誰もが学んでおかなくてはいけないことのような気がします。
いろいろ経験してみることは絶対必要ですから。

もし、目立たないことが彼女の選択ならば、親として全力で出来うる限り、
それで不都合がないように
サポートするだけです。
もし目立たない自分が嫌だと思ったら、それを変えることに対しても
全力でサポートしますしね。

長女のイジメから学んだこと。

昨日、かなり生意気なことを
書いてしまいましたので、ちょっと自分なりのいじめやらの考えを書きたいと
思います。

まず初めに、イジメはいじめられる子に確実に原因があります。
でも、その原因というのは悪いことというわけではなくて、いわば、差異
とか個性とか言われるものです。

うちの子の場合は泣き方が、泣き声?が面白かったそうです。
だから、泣かしてたらしい。
嫁は怒っていましたが、僕は思わず笑ってしましました。
当然、嫁の手前、心の中だけでですけど。
似たようなことを今もしとんねんな餓鬼どもはー。って
まあ、でも10年近く前だしね。時効でしょ。

ただ、そこでの先生の対応はカチンと来ました。
だから、変な声で泣かないようにしようね。って。
どんな声で泣こうがうちの子の勝手なのでは?
いじめられないように、身をすくめて生きろということですか?
私は、娘にこれが私の泣き方だ。文句あるのかと胸を張ってほしいのです。
だれでもない私の個性なのだと。
さすがに小1の娘にその説明を十分にはできませんでしたが。。。

それぞれ、一人一人違う差異の部分を受け入れられないとき、
差別とかイジメは発生するのだと思います。
人は成長とともに社会性?を身につけるから、直接的な方向でなく
陰湿になったり、遠ざかったり、無視したり、受け入れたり
するようになって来る。とは思う。

先生としてするべきであったのは、うちの個性を個性として
受け入れられるようにすることと、
イジメがイジメであるかどうかの規定は常に被害者の側にある
ということを理解させることではなかったのかなとおもう。
多分、専門家ではないのでわからないけれど、差異を個性として受け入れることが
ノーマライゼーションの基本なのではないかと思うのです。

なんかの記事に動物は仲間は殺さない。人間もそうであって、殺すのは
仲間として受け入れてないからだ、みたいなことが書いてあったのだけれど、
いじめとかハラスメントというのも仲間であるかどうかの考え方が重要ではないのか
と思うのです。
時々、「友達どうしのふざけあいだと思っていた」のと
「いじめられている」関係だと思う
認識のずれというのがあるのはこの点ではないか。

私がイジメがなかなかなくならない一つの原因として考えているのが、
上記の点と
差異をどう受け止めるかを十分に学ぶ時間が少ないこと。
私ら親自身が差異について何かしらかの不寛容な立場をとっていることあるものな。
たとえば、昔に比べると左利きは増えているそうですね。
昔は「ぎっちょ」とかいって、矯正されていた。私のいとこも両利きですもの。
他人との差異を気にする。のは子供ではなく大人だったりする。
子供のほうがよくそんなことでみたいな小さな点を他人との差異で発見するのだけれど。

それと小学生高学年くらいから中学生のイジメというのはある意味劣等感の裏返しに
なっているような気がする。
もしも完璧な人間がいたとする。スポーツでは金メダル勉強では常に全国で1番くらいの。
何をしても誰にも負けない。
だとしたら、その人はイジメはしないのじゃないかと思う。
負けてるところが一つもなければ、何らかの理由で自尊心・自我が傷つくことはない。
とすれば、他者への攻撃でそれを繕う必要はないと思う。
多くの場合、凄惨なイジメというのは、満たされない自分に対する代償行為で、
自分より弱い人間がいることとそれを確認することで満足しているのではないかな。
だから、弱いものへ弱いものへと攻撃が重ねられていく。
そしてそのことで、集団の中での自分の立場を強いものにしようとする。
自己防衛の一つなのではないか。
教育心理学の専門でもないし、経験も乏しいのだけれど。
そんな風に感じています。

ああ、もちろん日本の全人口の半分がサディストではないという前提に
立っていますよ。

自分の弱さを分かっていて、その劣等感との付き合い方を知っている子は、
あるいは劣等感を持つのが当たり前なのだと感じている子はイジメに加担しにくい
状況になるのではないかと。。。
上記の点がいじめっ子が状況の変化に伴いいじめられっ子にかわる。
また、その逆もあるということの原因の気がするのです。

人間だれしも弱い部分も劣等感もある。その向け方を間違うことは人間だから
ある。
つまり、イジメる―られるの関係が何かのきっかけでポンと
誰にでも起こりうることだから、簡単には、なくならないような気がするのです。

イジメがなくなるのは理想。でも、誰かにしてもらうのを待っていたならば、
長いようで短い人生。もったいないなと思うのです。
学生といわれるのは大学を含めてたいていが16年間。人生の20%分。
うつむいて過ごすのは、つまらない。だから、イジメに負けない強い子に
するのです。挫折を乗り越えられる強い子に育てたいのです。

「あたしの××のどこがいけないんだ。」
「キモイ。」
「それはあなたの感想。よく理解した。だったら、離れるか。受け入れるか。
選択の機会をあなたに与えてあげる。そもそも、どんだけあなたに迷惑かけてるか
説明してみろ。感情のまま生きてていいのは赤ん坊だけだぞ。」

こんな風にいえる子ならばあまりいじめられたりはしないんだよね。きっと。
難しいね。

失礼いたしました。

学級崩壊?えっ。うちのこなの?

子供が多いとそれぞれにいろいろなことあります。
ましてや、それぞれに9年ずつの義務教育があるわけで、
まともにいけば、子供たちトータルで約半世紀分の義務教育がある。
気づいたときは、我ながらすごくね。って思ったわけです。

若干、歴史を紐解きますと
長女・長男・次女とそれぞれに何がしらかの問題があり、
たとえば長女は小学校1年生の時に、イジメにあっておりました。
クラスも崩壊状態で、緊急保護者会なるものが開かれ、夜の9時くらいまで
お話合いが。。。何人かの生徒が先生のいうことを聞かないらしく、
先生の方でも手を焼かれていたそうです。

私自体は、イジメに合っている長女について、死ななければいいかな
同性からのいじめではないこともあり、
そのような体験も必要かなみたいに思っていてあまり問題にする気は
ありませんでした。
ただ、担当の先生の対応に納得がいかない部分があり、お手紙は書きました。

長男は小学校5年・6年のときに、やはり先生のいうことを聞かない子がおり、
学級崩壊で授業が全く進みませんでした。
先生も努力はされてらっしゃったのですが、うまく立て直すことが出来なかったのです。

まあ、これまではどちらかというと被害者的であったのですが、次女は
どうも様相が違いまして、クラスで「恐い」女子のグループに入っているのだそうです。
それで、授業中、「面白くなーい」とか「簡単すぎるー」とか(本人はやってないと
主張するのですが)授業進行の妨げになっているそうなのです。

まあ、気の強い、きつい子ではありましたが、
よもやそこまでと嫁はショックを受けておりました。
一族から不良が出てしまった。的な大騒ぎの状況だったのです。

ところが、学級懇談会ではその授業の進行がうまくいかないということよりも一部の
生徒(まあ、うちの不良娘のグループですが。。。)
が汚い言葉、あるいはきつい言葉を使うという問題がメインになってしまって、
授業進行がうまくいかない点は飛んでしまったようです。

親としてちょっと考えてしまいます。

確かに汚い言葉、たとえば「てめぇ、ぶっ殺すぞ」とか大人が言ったら、脅迫とも
受け取られません。それは人間として会話をする言葉ではないのだから、
仲間に対してでも使うべきではない。
叱られるべきはその点です。ちゃんとした言葉を使いましょう。
なぜならそれによって心に圧迫を受ける人やイジメととらえる人があります。
言葉は使う人のものではなく受け取る人のものだから、相手の存在を尊重しましょう。
ということだと思うのです。
そのような乱暴な言葉で傷つく人がいるならば、それはやっぱりやめるべき
なのです。
しかし、言い負かされてしまうから、誰も何も言えないという状況に関しては、
はたしてその生徒の責任だけなのでしょうか?

多分、うちの次女はあまり頭のまわる方ではなくどちらかといえば、天然なので
言い負かせるほどの弁はないと思うのですが。。。

たとえば、論争になったとき重要なのは理がどちらにあるかではないでしょうか?
間違ったことを言って、言い負かしているのであれば、それは全く持って非です。
正しいことを主張しているのであれば、それは正しいことだと思うのです。
当然相手の立場は尊重しなくてはいけませんが、、、
まあ、多くの場合は、理とか非ではなく、単なるわがままの言い合いなのだと
思うんですけどね。

大人がするべきは、言い負かしちゃいけませんではなく、客観的に判断してあげる
ことだと思うのです。言い争っているという事象面にだけに目を向けるのは、避けるべきです。
これから、生きてきくために、言葉をきちんと自分の武器にできることは大切なことだし、
一定程度、論争の経験を積ませてあげないといけないと思っているので、、、
だから、言葉を狩ってしまっても意味がないように思うのです。
互いにしこりの残らないようにまとめられたら理想形ですがね。。。

どう思うと嫁にいわれて、答えに窮してしまいました。、人の心に傷を残すような言葉は
使ってはいけない。でも、ほんとに論争なんだとしたらそれは、どちらに理があるかが
問題だし。。。でも、真の問題は授業がちゃんと進行しないことなのでは。。。
しか、頼りない父親としては言いようがなかったです。

それぞれの立場をその場にいて聞いていたわけではないから。判断できません。
言い訳くさくなりますが。

ただ、そのうちの次女が属するグループも教頭先生とかが来るとおとなしく話を
聞いているそうです。うーん。

合格と。。。

推薦で公立高校、合格していましたというお知らせが
中3から1件。
札幌市内でも上々の公立です。

嬉しそうにしている声を聞くとまあ良かった。と一安心です。

しかし、これはスタートラインに立っただけだから。
人生は年を追うごとにハードルが高くなり、選択も多彩になおかつ
難しくなっていく。

今の勝者が明日の勝者とは限らない。
土台、人生を勝ち負けで語るのは無理があるだろうと思います。
幸せの基準は人それぞれだから。。。

とにかくできることは、若いうちに自分なりの得意分野を
探しておくことです。

合格おめでとう。
だけど、残り2か月で高校生活の基本の立ち位置が決まっちゃうよ。
早く行き先が決まったならば、それに対する準備を2月、3月にしておくべきです。
この点においては間違いないと思います。

北海道の高校入試②(中3向け)

私立のB日程が始まろうとしているので。。。

ざっと思いつく注意事項をいくつか。。。

① たいていが下見に行くのですが、時間帯の違いに留意してください。
  たとえば、平日の昼間は道路がすいています。朝になると雪が降った日に
  ついては、バスも大きく遅れることがあるので注意です。
  公の交通機関を利用するというのは一種の保険で、マイカーでの遅れは
  単なる遅刻扱いですが、遅延の証明書を出してくれるバス、電車は遅れても
  遅刻とは違う扱いを受けられるケース(高校ごとに違いますが)が多いのです。
  そういう意味ではタクシーもギャンブル性が高い。
  使わなくてもいい時間という前提で逆算してください。

② 消しゴムは2個用意しましょう。できれば、大きめのものを。
  シャープペンシルは故障の危険性があるので使う人は2本以上。
  別に絶対ということではなく、これも気持ちの問題です。
  筆記用具について余裕があることでほんのちょっとだけプレッシャーを
  軽減させることが出来ます。

③ 答え合わせは絶対しない。親しい友達との間でも答え合わせはしない。
  なぜテスト後に答え合わせをしたがるかというと皆と同じであることで
  安心感を得たいのです。つまり自信がないから聞きたい。
  ところが、間違っていても答案を取り返して書き直すことなどできはしません。
  全く意味がないのです。
  だとすれば、自分の解答に絶対的な自信を持ってください。
  全世界の人の答えがアだとしても、自分の書いた答えがイならば、
  正解はイなんです。
  「自分の書く答えは一問たりとも間違ってはいない。」
  と思い込んでください。一問も間違ってないのだから、答え合わせの必要も
  ないのです。

④ すべてを忘れる。
  1教科ごとそれが終わったら、どんなテストかを含めてすべて忘れてください。
  失敗した、成功した含めててです。
  全く別な新しいテストが始まります。
  今日の晩御飯を食べているとき、「昨日の晩御飯残しちゃったなー」とか
  「うまかったなー」とかを思い浮かべる人は少ないと思います。
  今そこには今日の晩御飯があるだけだから。それを食べることに集中してください。
  後ろを振り返る時間はないので。。。
  合格発表まですべて忘れておいてください。

 不安はあるけれど、振り回されてはいけません。
 倍率はどこも高いですが、名目と実質の差があるので、気にする必要がありません。
 北海道の私立入試で怖いのはまわりの相手ではなく、
 自滅することです。
 マークミスであったり、ケアレスミスであったり、焦って、あと3分しかないないのに
 60字の記述問題の答えを消しても一度書き直すとか。。。
 自信を持って取り組んでください。
 受かるかな、落ちるかな的なことを考える時間は終了しています。
 絶対受かるんだ。と思い込んで取り組んでください。

北海道公立入試の数学。。。

お堅いタイトルでごめんなさい。

ここのところ毎日、中学生がきて勉強を指導している。
1日平均3~4名くらいかな。
以前在籍した塾からおいかけてきてくれた子もあるし、
さまざまな事情で。
引き抜きはかけていない。そのくらいの仁義は通しています。
この後、仁義なき戦い?それもあまりないかな。

とりあえず、5時から9時まで完全に個別指導。
入試まであとわずかなので、あるいは、終わってしまったので、
それぞれの課題に合わせて個別でみている。

その流れの中で、やっぱり絶対数は少なくても小・中学生の
個別指導は必要かなと考え始めています。
とりあえず、2月3月無料で面倒をみるという流れの中で
結論は出そうと思っている。
ただ、この後、手が上がったら断れないだろう(笑)
その場合は集団の絡みで私以外の教員に委ねることになる。
まあ、高校生は確実にスタートさせるので、中学生も受け入れられる
(条件付きながら)

ここにきて問い合わせに偏りが出てきていて、多分4月スタート段階で
即募集停止という学年が現れる可能性があります。
他の学年スカスカなのに。。。ということにならないようにしていきます。

以前から、今回の高校入試における問題点として指摘してきているように、
やはり、学習指導要領の改訂がらみのところは弱点になってしまっている。
特に数学と理科においては。
昨年度の標本調査の出題で明らかになっている通り、現状の中学生が
使っている教科書の内容はすべて出題されると考えておいた方がよいと思う。
一年目の単元だからと言って、手抜きはしていない。
ということは、数学においては
① 図形の移動(1年)と作図。
② 面積比と体積比
③ 円・球と三平方 などは、おそらく学習量の差によって大きく得点差のつく
単元になる可能性が高い。
むろん、集中的に対策は来てくれている生徒に対しては実施中。
しかし、円についての得点力は2年前に比べると確実に低下している。
円の3年生単元への移行に伴い、厚みが少し減ってしまっている。

つまり、2年前であれば中3の夏休みで結構復習できたのに、
今は冬休みでぎりぎり復習。なおかつ、入試の勘所をわきまえた講師が
指導していないと得点力は上がらない。
そばで聞いていて残念な授業だと、あきらめてほかの単元に時間をかけた
方がいいくらい。目の付け所が重要な単元だから。比と円は。
それに、一部の中学校は2年で円を前倒し実施しているので、
中学校ごとの得点差も深刻になるかもしれない。

今年の中3に限って言えば、中3の教科書を丁寧に進めるだけでは
明らかに入試段階で問題が発生するはずなのだ。
だから、2学期で成績の上下動が大きかったのではないかと考えている。
平均では現れない個人的な上下動が。
それを残り20日余りでどう埋めてあげるかが、今の私に課せられたミッションの
一つであると考えている。だから、来れる限り毎日。

ここまで来たら銭金の問題とちゃうで、お母さん。
金なんか要らんで、僕に何とかさせてほしいんや。

今も昔もよく言っている気がする。だから、会社ではきっと出世できないのだ。
なんとなく今気が付いた。
でも、ハートのない奴が塾やったって不満ばっかりでうまくいくはずない。
まあ、ハートだけのやつがやってもうまくいかないのがこの仕事の難しさでもある。。

どうでもいいことだ。

他にも数学は細かい部分はいろいろあるが、点数の差になりそうなのは、上記の点。
理科・社会は1年内容だな圧倒的に。

速読開講予定

本日は朝から、SRJ主催の速読の導入研修でした。
以前、速読指導の経験があるとはいえ、
ソフトも更新されているし、
ネットを使っているので、眠かったけれども行ってきました。
あさ、8:00過ぎに家を出たのですが渋滞がひどく、
10時に間に合いませんでした。

まずは中1の息子にさせたい。読書の経験は学力に大きく影響するような
気がする。統計的なデータとっているわけではないけれど。。。
本が好きで成績不振という子もありますし、逆のパターンもある。
だから、一般化はできないのですが、息子の場合は読む時間で国語の
テスト時間の大半を消費してしまっている。
それは社会でも理科でもそう。読む場所が少なく図で処理する問題は得点可能。
数学でも文章題の意味が取れていないことを感じる。

今更、趣味を読書に変更しろというのも無理な話なのだから、
単位時間で読める量を増やすしかないわけです。
とりあえず、受講第1号は決定だな。
6300円は出世払いでつけにしておいてやることにする。
親として示せる最大限の好意はそこまでだ。

冗談はおいておいたとしても、私としては高校生に受講させたいのです。
センター国語が選択肢を含めて約20000字オーバー。
これをよむのに40分かけたとしたら、純粋に思考・解答にかけられる時間は
40分。これを20分にできたら、もっと得点力は上がる。
単純に試験当日でそうなのだから、これを1年2年と考えた場合、
単位時間の中で問題を解ける時間が増やせる。読書量が増やせる。
ということは語彙力を上げられる機会になる。
2乗どころか3乗の効果も見込める。

それも、国語以外の各科目においても、それは可能になるから、
全体の底上げになる。
北海道の高校生は頑張っていると私は思ってます。
でも、小中でちょっとゆとりがある。
全道レベルで考えてしまうから。。。

でも大学入試は常に全国区
ちょっとでも、首都圏や近畿圏の小中でガシガシに鍛えられている連中と
渡り合うには効率化しかないと考えている。
高校の3年間という時間はどの地域に住んでいても平等なのだから。
その効率化の手助けにはなるツールだと考えています。

札幌とか北海道に住んでる子らが学習の面とか、入試の面とかで
全国的な競争に負けないという状態を私は作りたいのです。
小さいけれどそれが私の地域貢献だと考えています。

いま、大学生になった教え子たちは学習の量が多いので、速読できればいいな。
ということを言ってます。残念だけど対象は高校生まで。
そのうちとは思っていますが。。。

FBからのFB②

題名はフェイスブックからのフィードバックという意味です。

その友人のコメントはさらに続いていまして、
引用は避けますが、勉強の仕方を学校では教わってないように思うと。
それを見つけられない子のための塾であってほしい。
というような内容のエールをいただいています。

ありがとうございます。
勉強の仕方に関しては率直な感想でいうと、個人・ご家庭に委ねられているかな
と思います。
一つには勉強ということが価値観の多様化に伴い唯一のものではなくなったこと。

高度経済成長期の
勉強さえできれば何とかなる。
から、
今の時代の
勉強だけできてもねぇ、(特に北海道ではよく聞く気がします)とか、勉強さえできない。
という形で、相対的な地位が下落しているような気がするのです。

私自身も唯一絶対の価値観を勉強や受験においているわけではありません。
しかし、友人がいうとおり勉強の仕方は身につけなくてはいけないと思うのです。
知識は陳腐化していくもので、たとえば20年前の最先端技術はもうすでに。。。
パソコンなんかでいっても、20年間に比べて処理能力は1000倍以上になっているわけですよね。
その進歩に合わせて自分をグレードアップしていくためには、
自分で勉強するしかないわけです。
ところが、その方法を身につけていないとそれはできない。

私は、自身の反省としてそれが遅かったなぁと思います。
だから、繰り返しを自分が係る子供たちにはさせたくないと思います。
だから、勉強のしかたを指導していきたいと思います。
学習習慣の定着を小学生の第一に掲げているのはその理由だし、
中学生はがっつり勉強させますが、塾で学習法を指導する時間を設けています。
入試は塾の引いたレール通り進めば何とかなる。
高校・大学に入ったら誰もレールは引いてくれない。
だから、潰れちゃう子も出てくる。

本当のゴールはなりたい自分になることなのに。
さらに自分で自分を伸ばしていける仕組みを私は作ります。
まだまだ模索は続きますが。。。

簡単に言えば、段階を踏んで、

小学生:学習習慣
中学生:競争と自学自習
高校生:個別指導による自学自習の最適化

かな。

大学生は先生として技術・方法論の伝達と自分自身の学習法のブラッシュアップ。

高校生・大学生にとって両方とプラスがあるから、
個別指導には大学生を私の教え子中心に採用していきます。
生で大学受験を経験している時期が近いほどリアルが伝わると思うのです。
確かに経験は重要だけどそれは私がいくらでも側面から支援できる。

決して、1年2年で考えるのではなく、かかわった以上、その子の
人生にかかわるのです。

最終的に目標とするところまで伴走できる塾になります。

というわけでそろそろ4月に向けて声掛けしないといけないな。

FBからのFB

フェイスブックで小学校のときの友人から
小学校の時は塾に行ってなかったよね。というコメントをいただきました。
おっしゃる通りでいまの40代の方は多分あまり塾の必要が、
小学校時代なかったと思います。

私自身通っていなかったし、(自分で塾を開きながらなんですが、、、)
今も可能であれば塾に小学生が長時間通うのはベストであるとは思っていません。
現在の小学生を取り巻く状況は、こと学習に関して結構難しいと思うのです。

私なりの分析なので間違っているかもしれないけれど、
一つには中学受験の影響があります。
もう一つには、小学校の教科書が易しくなったことがあります。
もちろん中学校の教科書も易しくなったのですが。

中学受験によって、小学校はあまり影響を受けていない。
札幌市に限ればですが、、、一部の人のものなのです。
市内の小学校卒業生数と私立中学の受験者数を考えても10%は確実に下回ります。

つまり、クラスの中で多くて4、5人。下手をすれば、1人とか2人なのです。
息子と同期で私立中学に進んだのは学校全体で3人くらいだったと思います。

つまり、小学校としてはその部分を考える必要がない程の水準なのです。しかし、
中学校の感想としては、中学受験レベルのことをそこそこしてきている子も
多いととらえられているように思います。(あくまで個人の感想ですが、)
結果何が起こるかというと、
小学校の指導内容と中学校の出題内容のかい離が起こります。
ということで、教科書が十分できていると考えて(特に絶対評価だし)
公立中学に行くと「あれ、平均点もとれてないじゃない。」
となるわけです。
これが、中学受験の影響です。
近年の裁量問題が中学受験的な内容を含んでいたことで
より中学校の先生として意識されるようになったのかもしれません。
私自身としては悪いことであるとは思ってません。
パターン化されたものよりも思考力を問う内容はあっていいと思います。
誰も点数が取れないとかは問題ですが。

もう一つの小学校の教書内容が易しくなったことですが、
私が小学生だった頃は小2で集合のベン図とかしていましたから。。。
それから比べると易しくなっていました。
これは、最近になり、教科書内容が改定され、ギャップは埋まったかに見えます。
しかし、同じように中学校の教科書も難しくなっているので、勉強の仕方やそれ相応の知識を
身につけていない子はまた苦しいわけです。
たとえば、割合にしても小5でかなり時間的にも厳しいので基本だけで、
小学校は終わります。
多くの小学校では1%=0.01まではしますが、濃度の求め方などにかける
時間はないように思います。
しかし、かなりのレベルをしてきているものとして中学校では授業が進行しています。
今のシステムで中学校に小学校の復習の時間を求めるのはかなり酷だと思うのです。
本当に中学校の先生は部活顧問などを持つとほんとに大変ですから。

話を元に戻しまして、、、
一時、中学から高校へ進学した生徒のギャップが厳しかったのですが、
特にイオンとか化学の中心分野が中学校から削除され、高校に集中された時は
数学・英語よりも化学がわからんという子が多かったのです。
これは中学の内容が改定されたことにより、今後埋まっていくにしろ、
小→中のギャップは何か対策を講じる必要があると私自身は考えています。
それは塾かもしれないし、公的な援助かもしれない。

それぞれ、一長一短はありますから。これはまた、別の機会に。。。