子供が多いとそれぞれにいろいろなことあります。
ましてや、それぞれに9年ずつの義務教育があるわけで、
まともにいけば、子供たちトータルで約半世紀分の義務教育がある。
気づいたときは、我ながらすごくね。って思ったわけです。
若干、歴史を紐解きますと
長女・長男・次女とそれぞれに何がしらかの問題があり、
たとえば長女は小学校1年生の時に、イジメにあっておりました。
クラスも崩壊状態で、緊急保護者会なるものが開かれ、夜の9時くらいまで
お話合いが。。。何人かの生徒が先生のいうことを聞かないらしく、
先生の方でも手を焼かれていたそうです。
私自体は、イジメに合っている長女について、死ななければいいかな
同性からのいじめではないこともあり、
そのような体験も必要かなみたいに思っていてあまり問題にする気は
ありませんでした。
ただ、担当の先生の対応に納得がいかない部分があり、お手紙は書きました。
長男は小学校5年・6年のときに、やはり先生のいうことを聞かない子がおり、
学級崩壊で授業が全く進みませんでした。
先生も努力はされてらっしゃったのですが、うまく立て直すことが出来なかったのです。
まあ、これまではどちらかというと被害者的であったのですが、次女は
どうも様相が違いまして、クラスで「恐い」女子のグループに入っているのだそうです。
それで、授業中、「面白くなーい」とか「簡単すぎるー」とか(本人はやってないと
主張するのですが)授業進行の妨げになっているそうなのです。
まあ、気の強い、きつい子ではありましたが、
よもやそこまでと嫁はショックを受けておりました。
一族から不良が出てしまった。的な大騒ぎの状況だったのです。
ところが、学級懇談会ではその授業の進行がうまくいかないということよりも一部の
生徒(まあ、うちの不良娘のグループですが。。。)
が汚い言葉、あるいはきつい言葉を使うという問題がメインになってしまって、
授業進行がうまくいかない点は飛んでしまったようです。
親としてちょっと考えてしまいます。
確かに汚い言葉、たとえば「てめぇ、ぶっ殺すぞ」とか大人が言ったら、脅迫とも
受け取られません。それは人間として会話をする言葉ではないのだから、
仲間に対してでも使うべきではない。
叱られるべきはその点です。ちゃんとした言葉を使いましょう。
なぜならそれによって心に圧迫を受ける人やイジメととらえる人があります。
言葉は使う人のものではなく受け取る人のものだから、相手の存在を尊重しましょう。
ということだと思うのです。
そのような乱暴な言葉で傷つく人がいるならば、それはやっぱりやめるべき
なのです。
しかし、言い負かされてしまうから、誰も何も言えないという状況に関しては、
はたしてその生徒の責任だけなのでしょうか?
多分、うちの次女はあまり頭のまわる方ではなくどちらかといえば、天然なので
言い負かせるほどの弁はないと思うのですが。。。
たとえば、論争になったとき重要なのは理がどちらにあるかではないでしょうか?
間違ったことを言って、言い負かしているのであれば、それは全く持って非です。
正しいことを主張しているのであれば、それは正しいことだと思うのです。
当然相手の立場は尊重しなくてはいけませんが、、、
まあ、多くの場合は、理とか非ではなく、単なるわがままの言い合いなのだと
思うんですけどね。
大人がするべきは、言い負かしちゃいけませんではなく、客観的に判断してあげる
ことだと思うのです。言い争っているという事象面にだけに目を向けるのは、避けるべきです。
これから、生きてきくために、言葉をきちんと自分の武器にできることは大切なことだし、
一定程度、論争の経験を積ませてあげないといけないと思っているので、、、
だから、言葉を狩ってしまっても意味がないように思うのです。
互いにしこりの残らないようにまとめられたら理想形ですがね。。。
どう思うと嫁にいわれて、答えに窮してしまいました。、人の心に傷を残すような言葉は
使ってはいけない。でも、ほんとに論争なんだとしたらそれは、どちらに理があるかが
問題だし。。。でも、真の問題は授業がちゃんと進行しないことなのでは。。。
しか、頼りない父親としては言いようがなかったです。
それぞれの立場をその場にいて聞いていたわけではないから。判断できません。
言い訳くさくなりますが。
ただ、そのうちの次女が属するグループも教頭先生とかが来るとおとなしく話を
聞いているそうです。うーん。