判断すること。誉めること。

先ほどの続きかな。
自分で判断できることとUSJの迷惑行為が
底流でつながっている気がする。ということに
ついてなのですが、
事件の詳細はテレビや新聞で書かれていることくらいしか
知らないのであくまで主観的な、分析でも評論でもない
感想でしかないのですが。
僕はその学生さんがあまり誉められて来なかった方なのかな
と思いました。
あるいは評価されてこなかったというべきか。
評価されることや、誉められることになれていないと、
本当の賞賛されているのか、フェイクなのかが
判断できないようになってしまうと思うのです。
ネット上で誉められることは匿名性の高い、責任をあまり伴わない
かなりフェイクの可能性も高い賞賛ではないかなと思います。
行動や発言の自由さも現実に比べると高いように思います。
責任を伴わないことも多いですし。
となると、その内容を自分で判断することが必要になるわけです。
今回のことはなにかのはずみで起こったことかもしれません。
しかし、その行いがエスカレートしていたのは、
行為の善悪を自分で判断せず、評価をネットという信憑性が
必ずしも高くない媒体に委ねてしまったせいがあるのかと思います。
当然その責任はそのことによって免れるわけではありません。
やはり、一番悪いのは当人なのです。
そのアトラクションが止まった時間帯の損失分を請求されても
仕方ないと思います。
とういうか、僕は逆に請求するべきだと思います。
それが、当人と企業両方のためになるのではないかと思いますが。
痛みを想像できないのであれば、体験させるしかありません。
(想像できるようにするのが教育の役割だと思っていますが。)
同じような環境で同じように成長してきた方が同じようなふるまいを
するわけでは当然ありませんから。
僕の限定された経験だけで感想を述べて、申し訳ないのですが、
プラスの評価を受けずに育ってきた方は、マイナスの状況でも
めげずに前を向くという良い面はあるものの
プラスの評価をどんな場合でもほしがり思わぬ行為に及んで
しまうことがあるような気がします。
また、不必要用下を向くことも多い気がします。
思わぬ行為の評価は状況によって違ってはきますが、
下を向くということについては、どんな場合であろうと
よいことはあまりないような気がします。
今回の件を教訓として自分の行動を振り返ってみたいと
なんとか仕事や子育てに生かしていきたいと思います。

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