勝つこと負けること。PAT共育ゼミナール

昨日のアクセスは
公立の合格発表があったせいか上昇しています。
検索ワードとしても
不合格や私立についての(光星・第一)のものが
多くなっていますね。
不合格は残念だし、不安ばかりが先に立つし、
自分を責めてしまったりします。
私もいわば、「敗北」の情景には多く立ち会ってきました。
学習塾というのは得てして、勝者にのみ光を当てがちなので
どうしても、残念だったで終わりがち。
まあ、中学卒業でおしまいという塾が多いから、
その点においては無責任というか責任の取りようもないという
ことなのかもしれません。
だからあえて落ちない高校を2ランク下げてでも、
勧めるというケースもあります。僕は嫌なのでしませんが。
あまりいいことであるとは思いません。
塾の体面だけの問題だから。
で、今回不合格になったことは本当に敗北かというと
全く違うと思うのですね。
努力しなかったことは後悔すべきで、それを次に生かせばいいし、
各高校の上位100名を除けば、だれが合格して誰が不合格に
なってもおかしくない状況に昨今の公立高校入試はあると思います。
不合格者が圧倒的な実力不足ということは
ないのです。めぐりあわせの問題とでもいいましょうか。
不合格になった生徒のご家族のへこみ方への
何の慰めにもならないと思いますが。
残念なのは私立に進むとそん色ない実力だった人が
どんどん曇っていくケースがあるということです。
それは、学校の生徒か教師のせいではありません。
原因はこんなところ来るはずじゃなかったのにとか、
落ちたし、という自己否定から始まるのです。
公立よりも優れた私立はいっぱいあります。
なぜ、はじめのほうで「敗北」とかっこ付きで書いたか
わかってもらえると思います。
本当に「敗北」にするかどうかは外の要因ではなく
自分の内的な要因だからです。
前向きにとらえられるかどうかにかかわっています。
同時に合格者も「勝利」でしかありません。
合格の報告を受けるとダメと思いつつも
ついつい「これからが大変だぞ、しっかりがんばらなきゃ」
と言ってしまいます。
合格者は優位、勝ち抜いたと思ってはいけない。
これが終わりじゃないから、
不合格者も劣位、負けた。と思っていいけど。
終わりじゃないことも同時に思っておいてほしいな。
勝利よりも敗北のほうが人生においては普遍的な
光景なのです。(中・高の部活でもそうでしょ)
そのことか学び取れるか否かで
本当の敗者が決まると私は信じています。
今年はPAT共育ゼミナールは不合格者がいないので
塾生向けではなく、同じく今年の受験を戦った
人たちに最大級の賛辞とこれからに向けてのエールを
送りたいと思います。というか、勝手に発信します。
ぽおっと発信 札幌市中央区 学習塾PAT共育ゼミナール 
札幌市中央区 小中高学習塾 PAT共育ゼミナール

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